
結婚して10年。
夫は真面目で、家庭に不満があるわけではない。
けれど、日々の生活の中で「自分の時間」が薄れていくのを感じていた。
そんなとき、近所の陶芸教室のチラシを見つけた。
土に触れて、無心になれる時間がほしい。
ただそれだけの理由で通い始めた。
週1回、2時間の教室。
私にとっては、生活の中のちょっとした楽しみだった。
通い始めて数回目のこと。
私の隣に新しく入会してきた男性が座った。
年は私と同じくらいか、少し上に見える。
講師の指示を真剣に聞き、土を捏ねる姿は不器用そうなのに誠実だった。
「難しいですね」
思わず声をかけると、少し照れたように笑った。
「でも、なんか集中できて…楽しいですね」
その笑顔に、不思議と安心した。
彼と話すのは、それが最初だった。
器を成形するとき、彼の手が私の手元に伸びてきた。
「すみません、道具借りてもいいですか?」
そのとき、ほんの一瞬、指先が触れた。
偶然だとわかっている。
でも、なぜか心臓が跳ねた。
土をこねる彼の指。
真剣に作品に向き合う横顔。
集中すると眉間に寄るシワ。
夫の隣で感じたことのない種類の“男らしさ”が、
そこにはあった。
休憩中、並んでお茶を飲んだ。
「〇〇さん、いつも落ち着いてますよね」
「そんなことないですよ」
笑いながら答えたけれど、心の奥がふわっと熱を帯びていくのを感じていた。
教室を出たあと、駅まで一緒に歩いた。
大した会話はしていない。
でも、横に並ぶだけで落ち着くような、不思議な安心感があった。
「また来週も同じ時間ですよね」
「はい、楽しみにしてます」
そう言葉を交わして別れた。
電車に揺られながら、私は自分の頬がほんのり赤いことに気づいた。
土をこねるときに熱くなったのだろうか。
それとも、彼と話したからなのか。
家に帰れば、いつもの生活が待っている。
夕飯を作り、夫と食卓を囲み、ニュースを見て、眠る。
その流れに、不満はない。
でも、今日の陶芸教室での時間は、
確かに日常とは違う温度を持っていた。
夫には見せない笑顔を、私は彼に向けていたかもしれない。
そして、彼もまた、同じように笑ってくれていた。
「不倫」なんて考えてはいけない。
そんなつもりもない。
けれど——
人妻である私もまた、ひとりの“女”であることを、
今日、思い出してしまった。
そのことが、胸の奥で静かに灯り続けている。